告発!!無法リストラ
 世界的大企業 NECで @
 
会社の言葉を信じたのに

2001.10.5しんぶん赤旗掲載


富士ゼロックス売却前のNEC新潟

 NECの子会社でパソコンとプリンターを製造いてたNEC新潟(冨田穂積社長、従業員約900人)。レーザープリンターの主力工場だった同社は富士ゼロックスに売却されパソコン部門は撤退し、9月いっぱいで姿を消しました。

■なんで私たちが
 同工場は、丘陵地を造成した新潟県柏崎市の田尻工業団地の一角にあります。9月中旬。従業員もまばらで閑散としていました。後片付けで出勤してきた30代の男性従業員は「なんで私たちがこんな目に遭わなければならないのか・・・」と無念の表情を浮かべました。
 パソコン製造部門で10数年働いてきましたが、9月末で退職しました。まだ再就職先は決まっていません。
 従業員のプリンター部門などの約500人は富士ゼロックスに移籍
パソコン部門の約300人はNEC米沢(山形県米沢市)への移籍を迫られました。嘱託と準社員は59人が全員解雇されました。
 パソコン部門の従業員のうち移籍に応じたのはわずか40人余。大半の従業員は不況の中であえて退職を選択しました。ほとんどが地元採用で、定年まで同社で働くことを前提に生涯設計を立てて暮らしていたからです。
 「入社時、会社は私に転勤のないことを確約していた」。そういう40代の男性従業員も、悩みぬいたあげく退職を決断した一人です。
 「会社の言葉を信じて柏崎に家を建て、年老いた両親とも同居しました。それがいきなりの移籍命令です。こんなことってありますか。米沢に喜んでいく人はだれもいません。もう柏崎に戻ってこれませんから」
 従業員全員が食堂に集められ簡単な閉鎖説明があってから閉鎖されるまで5ヶ月間。個人面談で、「米沢にいくか、辞めるか」と迫られました。
 職場では、「謝罪の言葉がない。すべて本社の責任にし、逃げている」と怒りの声が噴出し、社長室に怒鳴り込んだ従業員もいました。
■自腹で就職活動
 求人はあっても、多くは専門職。しかも比較的給料が高いと見られているNECの従業員の採用を避ける傾向があるといい、再就職をより困難にしています。
 めでたく再就職できたとしても、3〜4割の減収はふつう。先の40代の男性従業員は、やっと再就職先を見つけたものの、収入は現状の4割減となりました。
 会社側は再就職支援会社の活用を呼びかけていますが、利用する従業員には月収3カ月分の支払いを請求しています。
 同従業員はいいます。
 「会社都合で退職に追い込まれたのに、自腹を切って就職活動をさせられています。職場では”なんで””ひどい”の声があがっています」

 NECは、情報産業の世界的大企業。従業員はグループで18万7千人に及びます。3月期決算は過去最高の売上高でしたが、直後の7月末に半導体事業の4千人の削減計画を発表しました。従業員から「またか」の声があがったのは、99年3月から1万5千人の人員削減を推進し、その後も労働者犠牲のリストラを繰り返しているからです。増収増益でも人減らしをともなう、ゆがんだ経営が日本の大企業でまかり通っています。 (つづく)

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移籍先でも際限のない人減らし
2001.10.7しんぶん赤旗掲載


まだ行き先の決まっていない従業員もいるNEC府中事業場

 「たとえ移籍しても将来も米沢にいられる保証はないんです」。NEC新潟を退職した40代の男性は、泣く泣く移籍に応じた元同僚たちを思いやりました。
 このリストラ計画は、NEC本体のパソコン事業部の開発部門と生産子会社であるNEC新潟、同米沢(山形県米沢市)。同群馬(群馬県太田市)、同データ機器(東京都調布市)の4社を統合して、別会社化することにありました。
■新会社での計画
 この新会社「NECカスタムテクニカ」(本社・東京都大田区)は、開発デザインから生産、保守サービスまで請け負う開発生産会社(DMS)として10月1日から発足しました。
 新潟から米沢に移籍した人たちは新会社の従業員となりますが、同社のビジネスプランによると、会社発足と人員削減計画が一体化いています。
 現行の2690人の人員を2001年度末にはさら240人に減らし、2002年度末にはさらに1790人と、のべ900人を削減する計画を打ち出しているのです。
 会社側は「事業全体の2002年度計画のなかで出荷高115%、利益率2%実現するために必要な固定費(人件費))から算出した数値」とし、利益を人員削減によって生み出す意図をあかあさまにしています。
「一生米沢の地でと移籍を決断し、移籍した後、再び転勤や移籍がおこなわれるのか」との労組の質問にも、会社側は「今後の事業推進の中で、絶対ないとはいえない」とし、近い将来、配転や移籍がありうることをにおわせています。
■社内の人材登録
 NEC本社の従業員も、このリストラの対象になっています。パーソナル業務開発本部は解体され、そこに勤務する約240人の従業員は配転や出向を強いられています。うち40人が社内の人材登録をさせられ、まだ数十人の行き先が決まっていません。
 府中事業場(東京)の50代の男性従業員は「経営者はパソコンの収益悪化をリストラの理由にしていますが、先を見通せず過剰な設備投資、生産に走ったみずからの責任は不問にしている」と批判しました。
 会社側が「構造改革掲示板」と称するホームページを立ち上げ、会社幹部がそこで次のように述べたといいます。
 「J・Fケネディの言葉を借りれば、今、大事なことは新会社がわれわれに何をしてくれるかではなく、われわれが新会社に何ができるかである。まわりを見渡せば、われわれだけが特別なわけではない」と。
 各職場から怒りの声が出ました。匿名の従業員がその掲示板にこんなメールを送りました。
 「大企業の論理がささやかな幸せをつかもうとしている人たちの将来を暗いものにしていることを忘れないでください」    (つづく)

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移動できない人は切り捨て

2001.10.8しんぶん赤旗掲載


9月末で閉鎖されたNECデータ機器

 パソコンなどパーソナル機器の開発・生産部門のリストラだけで移動拠点は数十カ所にのぼり、移動させられる従業員はNECグループ全体で1千数百人に達します。
 東京都調布市の関連子会社のNECデータ機器も、9月末で閉鎖されました。約450人の従業員は、新潟、米沢、甲府、群馬、宮城などに移籍を命じられましたが、多くの従業員が移動できず、百人以上が退職に追い込まれました。

■みんなバラバラ
 閉鎖直前に訪ね、話を聞きました。
 30代の女性従業員は、「みんなバラバラになります。私は結婚し、子どももいる。移籍に応じられないので辞めます」。50代の男性は「米沢にいきます。もちろん単身赴任です」とさみしげな表情を浮かべました。
 拠点間の移動に応じられない従業員を切り捨てる−−これがNECのリストラの手口です。
 7月末に発表された半導体事業のリストラ計画も、こうした工場閉鎖や統合によって他工場へ転籍させ、応じられない従業員に退職を迫る図式は同様です。
 半導体部門で働く50代の男性従業員は「高度経済成長期に全国各地に生産工場を次々と設立し、高収益を得てきました。もうけがないという理由でそれらの関連会社を次々と閉鎖に追い込んでいます。人件費削減でより高収益の体質をつくる。、これが最大のねらいです」と指摘します。
 NECの3月期決算は2期連続の増収増益で過去最高の売り上げ高を更新。96年度かあ2000年度までの5年間で3199億円の経常利益をあげ、この間、約6000人の人員削減をしています。内部留保(ため込み利益)は2000年度で1兆971億円にのぼります。
 同社は今後3年間の中期経営戦略で、4000人の削減で半導体部門の総固定費を2000年度比で14%削減し、2002年度で一気に黒字転換をめざすとしています。
 パソコンなどのパーソナル部門でも、3月期決算で72億円の赤字を計上していますが、リストアで一年先には黒字転換を見込んでいます。

■従業員より「株」 
 職場では「従業員でなく、株主や株価に目が向いている。人材育成や技術力の蓄積をなおざりにしている」といった声も出ています。
 NECは、99年から2000年にかけて半導体部門に2300億円もの巨額投資をしました。こうして発生した損失にたいしてはいっさい責任をとらず、もっぱら「IT(情報技術)不況」のせいにしています。
 「経営者はやみくもに不採算部門を切り離そうとしている。働きやすい環境がどんどん失われていくような気がします」と、40代の男性従業員は鎮痛な表情を見せました。 (つづく)

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食い逃げ、地域経済の破壊

2001.10.10しんぶん赤旗掲載


田尻工業団地の立て板。NEC新潟と関連会社がズラリならんでいます=新潟県柏崎市

 NEC新潟の全面撤退は従業員だけでなく、工場のある新潟県柏崎市(人口約8万6千人)に大きな衝撃を与えました。雇用不安が一挙に高まりました。
■市長、本社に抗議
 同市の西川正純市長はリストラ計画が4月26日に発表された直後、植木馨・柏崎商工会議所会頭とともに東京のNEC本社を訪問。「NEC新潟と柏崎市とのかかわりを考えると、今回の決定には憤りを感じる」と抗議しました。
 同市議会の各会派も一致して、従業員の雇用、下請けや取引企業への影響を最小限におさえるよう申し入れました。 しかし、NEC側は「経済のグローバル化に乗り遅れるわけにはいかない」と述べ、下請けの仕事がなくなるのはやむを得ないとしました。
 柏崎市内には百人規模の主要なNEC新潟の下請け関連会社があります。今回の閉鎖とマザーボード(パソコンの基盤)を全量海外生産にシフトするため、受注が激減。早くも従業員の半数近くを解雇した関連会社も続出し、二次下請け以下の大量失業も心配されています。
 同社は経営指針で「地域社会の発展に寄与するよき企業市民として、ボーダーレス経済に挑戦する」としていますが、その方針をみずから覆しています。
 この問題で追求してきた日本共産党の五位野和夫市議は「NEC新潟と柏崎市はもちつもたれつの関係にあり、一方的に撤退することは許されることではありません」と批判します。
 NEC新潟は28年前の1973年に柏崎製作所として設立。翌年NECが株式を取得し、グループの子会社となりました。86年には市が造成した現在の田尻工業団地に移転し、その際、市がNECの跡地を買い上げました。
 田尻工業団地への移転以降、市の税制上の優遇措置を受けてきました。五位野市議によると、2500万以上の設備投資をするたびに固定資産税が3年間免除され、土地保有税も免除されていたといいます。
■100億円こす支援
 NEC新潟は、2000年度の売り上げは721億円、当期利益4億円の黒字。進出以来、100億円を超える市の支援を受けていました。
 「言葉は悪いですが、うま味だけ取って、まさに食い逃げです」と五位野市議。退職に追い込まれた元従業員は「もうからないと工場を閉鎖し、後は野となれ山となれという身勝手さには怒りを覚えます。社会的な責任を果たさせるよう何らかの規制を加える必要があります。」と語ります。
 市や市議会の雇用確保の要請もあって、その後、再雇用の場としてNECソフト柏崎センターが設立されることになり、従業員80人の移籍が決まりました。(つづく)

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突然の生活破壊、労組結成

2001.10.12しんぶん赤旗掲載


新たに4000人以上の人減らしを計画するNEC=本社、東京都港区

 NEC新潟(柏崎市)の閉鎖にともない、嘱託・準社員は8月末で59人全員が一方的に解雇されました。
 「解雇は不当」と、大半の嘱託・準社員48人が全労連加盟の全国一般労組結成に参加。解雇撤回はできませんでしたが、団体交渉や要請行動を積み重ね、退職金の増額(多い人で3百数十万円増)を勝ちとる成果をあげました。
 退職金の支結総額は1億6千6百万円(48人分)のぼり、労組に加入しなかった人たちもそれに準じた退職金が至急されました。当初、勤続三十年以上で退職慰労金11万円、それに加算金として10万円プラス基本給1カ月分が支給されるだけでした。丸裸のまま放り出され、困り果てました。多くが住宅ローンを抱え、子育て中でした。
■三十数人が参加
 全労連,全国一般労働組合と新潟県労連が開いた相談会にはいきなり三十数人が参加。「定年まで働けると思っていた。働きつづけたい」「長年正社員と同等に働いてきた
退職金をもっと上げてほしい」などの声が相次ぎました。参加者全員が加入を決意し、その場でで労組が結成されました。
「雇用継続を富士ゼロックスに認めさせる」「退職希望者には正社員と同等の扱いをする」などの要求をかかげ、工場門前やNEC本社前でビラを配布。相騒市役所や同商工会議所にも支援を要請してきました。
 この成果は波及し、正社員の退職金や閉鎖される他工場の嘱託・準社員の退職金にも増額をもたらしています。
全労連・全国一般労組新潟地方協議会の広川茂書記長は「労組結成からわずか一カ月。ここまで大きな力を発揮したのは彼ら彼女たちの団結の力でした。再就職の決まっていた人も、一緒にたたかおうとい労組に加入してきました。そこには生活を破壊するリストラヘの激しい怒りがありました」と話します。
■明日はわが身
 相次ぐリストラで、各職場では「明日はわが身」と、かってなく不安が高まっています。
 日本共産党NEC府中支部(東京)ではこうした実態を直視し、「会社は労働者の雇用を守る社会的な責任がある」とビラなどで訴えています。NEC労働者懇談会と協力してホームページ「リストラ掲示板」を設けて職場の意見交流をおこなっています。
 また、リストラ対象の職場では「配転や出向が嫌だったらはっきり『ノー』といおう。短気は損気。家族のことを思い浮かべて粘り強く自分の意見を主張しよう」と励ましています。
 男性労働者(50)は「労働者が粘り強く会社や労組と交渉を重ね、代替の職場や転勤できない労働者に通勤可能圏内に職場を確保させる動きも引き出しています」と話しています。    (おわり)