第2章 リストラの概要


1.NECエレクトロニクス社 新リストラ案を発表

 

 2007年11月28日(水)、NECエレクトロニクス社(以下、NECELと表記)は、新たなリストラ案を社外に

向けて発表した。

 2005年度以降、連続して赤字を計上していたNECELは、それより遡ること約9ヶ月前の2007年2月に

も大規模なリストラ案を発表していた。それらは、ウェハー製造工程(前工程)における国内生産基地の統廃

合、品種群を軸にしたビジネスユニットによる営業から生産までの垂直統合型組織への再編成、パッケージ

ング工程(後工程)の海外生産強化、車載用半導体など注力製品へのリソースシフト、外注費の削減、投資

の大幅削減などであった。これらのためのリストラ費用を計上した2007年度の最終決算は、営業損益で

286億円の赤字となり、従業員は昇給昇格の半年先送り、一時金は4.0ヶ月(電機連合最低水準)と言った

厳しい措置を否応無く飲まされることとなった。

 こうしたリストラの効果かどうかは定かで無いが、2007年度の第2四半期には、実に9四半期ぶりの黒字

を達成する事となり、秋口には(中島現社長就任時依頼とも言える)夜半過ぎの満月の光にも似た仄かな明

るいムードが漂い始めていた。NECELが中島体制におけるリストラの「第2段階」を発表したのは、そんな時

期であった。

 11月28日発表のリストラのポイントは、主に次の2点である。

 

  @生産部門の統廃合

  A早期退職者の募集

 

 上記の内、中心は「@生産部門の統廃合」である。これは主に次の4つの事項で構成されている。即ち、

i)国内生産工場を3会社に統合し、2008年4月より新会社を発足させる、ii)相模原事業場にある先端半

導体製造プロセスの開発拠点を山形地区に移す、iii)NECファブサーブ社(以下NFAS)は2009年3月末を

目処に解散する、iv)32nm以降の最先端半導体は、東芝と共同開発を行う。

 このようなリストラ案の報告を、多くの社員は社内のホームページないし翌朝の新聞などを通じて知ることと

なった。翌11月29日には、役割グレード適用者(課長以上)への説明があり、職場によっては全従業員に

対し事業部長クラスから説明が為された模様である。

 従業員の示した反応の大きさは、職場でかなり差があった様だ。NECELは、玉川事業場(川崎市中原区)

と相模原事業場(相模原市南橋本)の2箇所を拠点としている。このうち、本社のある玉川事業場には設計

部門、営業部門、スタッフ部門の多くを配している一方、相模原事業場には先端デバイスの生産系開発部門

やNFASがある。今回のリストラでさほど影響を受けない玉川サイドの反応は比較的静かであったのに対し、

多大な影響を被る相模原サイドは直ちに騒然となった。

 次に、新リストラ案の個別案件について、もう少し具体的に見ていこうと思う。

 

2.生産部門の統廃合の展開

 

(1)国内生産工場の統合

NECELは、事業を3本の柱で構成しており、それぞれを管轄するBU(ビジネスユニット)が存在する。

それらは、「SoCBU」、「マイコンBU」、および「個別半導体BU」であり、それぞれが主管する3つの生産会

社を持つように統廃合が行われた。その結果、SoCBUは山形地区(NECセミコンダクターズ山形)を、マイ

コンBUは九州・山口地区(NECセミコンダクターズ九州・山口)を、そして個別半導体BUは関西地区(NEC

セミコンダクターズ関西)を主管することとなった。

 

 

 上述の3社のうち、九州・山口地区、関西地区の2社は、これまで別会社だった前工程(シリコンウェハー

上に集積回路を形成する工程)と後工程(シリコンチップを切り出して、パッケージングする工程)の工場を統

合して一社とした。統合によってスタッフ部門などの合理化、人員削減があったと推定されるが、残念ながら

情報は得られていない。

 

(2)先端半導体製造プロセス開発拠点の山形移管

 NECELにおけるこれまでの開発方針は、まず相模原事業場にある半導体試作ラインの中で最先端のデバ

イスを開発し、これを各地方日電(鶴岡、大津、山口、広島、熊本)の大規模ラインへ展開し、量産品の大量

生産を行うというものであった。ところが今回の施策では、相模原の試作ラインを完全に閉鎖すると言う。そし

て現時点で量産化の目処が立っている中では最先端である最小線幅(=加工精度)が40nm(髪の毛の太

さの約1/1000)の半導体の量産立ち上げを、NEC山形(鶴岡市)で行うと言うことである。

 この施策でもっとも影響を受けるのが、先端デバイス開発に従事する人たちである。担当する業務によって

は関東地区への復帰の目処さえ立たないが故に、仮に独身者であっても山形行きは極力避けたい事態に違いない。まして家族のある者、とくに配偶者と共働きの者や、育児・介護の事由で容易には住む場所を離れ

られない者にとっては、人生設計を大いに狂わせられる事態になるかも知れない。しかも、執行役員の中に

は、開発者との意見交換の場において「異動拒否は一切認めない」との発言をした例もあったと聞く。こうした

状況を反映してか、すでに職場では士気が大いに低下し、若手を中心に離職が進んでいると言う。だが、法

律上は会社が遠地への転勤命令を絶対的なものとして出すことは出来ず、これには各種の判例もある(本

HPの「法律的側面からの考察」を参照)。決して早まった退職はして欲しくないと思う。

 

(3)NFASの解散

 はじめに、NFASという会社について若干説明しておきたい。NFASの前身はNECEL内における半導体の

製造部門であったが、2004年7月にNECELの100%子会社として分離独立した。分社化当時の社員数は

約1300名、当初の売り上げ規模は年間220億円であったと言う。

 NFAS発足当時の業務内容は、次のようになっていた。

 

  @先端プロセスの試作等の「試作サービス事業」

  A拡散ラインの立ち上げ・量産業務請負等の「生産サービス事業」

  B設備・部品の設計販売・保守等の「設備サービス事業」

 

 現在、相模原の試作開発ラインを実際に運用しているのがNFASである。したがってNFAS社員の主要な

勤務地も相模原事業場であるが、近年は試作開発ラインの人員にだぶつき傾向があったため、地方日電へ

の出向者もかなりの数に上る。更に、生産サービス事業については、トヨタ自動車の広瀬工場(愛知県豊田

市)への出向など、その範囲を社外まで広げて来ている。そのほか、玉川事業場(川崎市中原区)内にも約

200名を配し、ここで半導体製品のテスト評価・解析業務や、NECELの設計開発部門への事務派遣(労働

者派遣法に沿った派遣事業)を行っている。

 今回、相模原の試作ラインを閉鎖することで、NFASの仕事の根幹を為す領域が消失することになる。

32nm以降の製造プロセスの立ち上げには、NFASが関与しないか、あるいは限定的にしか関われないの

であれば、会社を存続させておくことも出来ないのだろう。NFAS設立と解散の意味については、第7章で確

認したいと思う。

 

(4)最先端半導体の東芝との共同開発

 これは、ある意味今回のリストラの中で最も重要な決定ではないだろうか。32nm以降の半導体の開発中

心は、横浜市新杉田にある東芝のAMC(アドバンスト・マイクロエレクトロニクス・センター)に移る。共同開発

の名目ではあるが、50:50の関係を期待するのが無理な状況でこの決定をしたことは、将来の東芝との統

合、またはファブライト化(ファブレス化)へ向け、もはや後戻り出来ない方向へ舵を切ったと見るべきではない

だろうか。

 

3.早期退職優遇制度について

 

 さて、NECELは生産基地の統廃合と一緒に、早期退職優遇制度の導入も提案してきた。要するに生産部

門の統廃合によって余剰人員が出るから、その受け皿として用意されたのだと言うのが新聞発表などによる

公の見方である。これと同様の制度は、2001年にNECが、2004年にはNECフィールディングが導入した

実績がある。当時は特別転進支援制度と呼んでいたが、本質的には同じものである。両制度の比較を次に

示す。

 

 

 こうして比較してみると、個人面接を行う、キャリア相談室を設ける、再就職支援サービスを行うなど、制度の

運用方法が同じであるばかりでなく、退職金の割り増し月数までそっくり同じである。あえて違う点をあげると

するならば、適用年齢が40歳に引き下げられていること、退職の扱いが自己都合であること、そして2001

年当時のNECが営業損益で1500億円以上の大赤字を計上していたのに対し、今回のNECエレクトロニク

スは、黒字であるにも関わらず制度を適用した事だろう。(したがって前回よりも悪質だと言える。)

 この制度の展開状況については、第5章で詳細を述べる。

 

           

 

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