疲弊する職場 NECは今  No.2

共通業務本部(下)  ”自分はいらない人間”            2005.1.7
 

 「共通業務本部」。いわばリストラ要員のためにしつらえたともいえる職場で、各事業場に設けられています。

 職場は解散した

 「自分はいらない人間だと思った」。そう話すのは、府中事業場(東京)のコンピューター共通業務本部にいた五十代の男性社員です。
 「いた」というのは、昨年九月末に職場は解散したからです。

 共通業務本部には百人以上が集められ、部・課長クラスも約一割いました。解散半年前に解散宣言が出さ
れて以降、とくに社員の心は不安に揺れました。「会社も努力するけど、君たちも自分で仕事を探してほしい」という、事実上の解雇通告でした。

 社員らは、社外に発注されていたカタログ発送などの仕事をもらい受け、働いていました。しかし、解散宣言直前にはほとんどその仕事もなくなっていました。
 約二割が「セカンドキャリア制度」を利用し、職場を去りました。 セカンドキャリア制度というのは、二年間休暇をもらい、自力でNECグループ外の企業に再就職先を探す制度。七、八割の賃金がその間保証されるといいます。

 先の男性社員は、NEC本体に残りたい、とセカンドキャリア制度への応募を拒み、社内の人材公募に二度応募しました。しかし、いずれも書類審査で落ちました。

 職場会では、「会社は責任をもって仕事と職場を確保してほしい」という声が噴出。労働組合執行部に支援を訴えましたが、「組合には人事権がない」といわれ、にべもありませんでした。

 昨年十月一日の異動発令で、結局、大半の社員は「企画本部」と名称が変わっただけの従来の職場に残留
することになりました。問題を先送りしただけで、社員は宙吊り状態のままです。NEC本体の他の部署に数人が異動し、二、三人がグループ外の企業に転籍していきました。

 人員不足なのに

 「他の職場では忙しく働いて遅くまで残業しているのに、なぜ私たちを遊ばせているのかと思います。全体では人員が不足しているのに、会社は補充しようともしない」と男性社員。

 同じ府中事業場のパーソナルソリューション企画本部も昨年九月末に解散。在籍していた約二十人の社員のほとんどが社外に追われることになりました。横浜の関連会社に出向となった五十代の男性社員は、片道一時間三十分以上の遠距離通勤を強いられています。

 「解散が発表され、断行されるまで二十日間しかなかった。身の振り方を考える余裕も与えない、有無をいわせない理不尽なやり方でした。出向期限もありません」と男性社員は憤ります。

 半数近くが「キャリア開発プログラム」に応募し職場を去りました。キャリア開発プログラムというのは、NECグループ内に受け入れが困難な社員を対象に、グループ外へ出向先を探すための研修制度。東京では港区と立川市の二カ所にその研修場所があり、対象の社員は毎日そこに出勤しています。

                                                             (つづく)

 
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