21世紀の企業の条件

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21世紀の企業の条件  

NECは21世紀の社会に適合できるのか!!

20世紀も残すところあと2ヶ月、今いろんな場面で、20世紀はどんな世紀だったか、21世紀はどうあるべきかなどの議論がなされています。
そこで企業の役割と影響という視点から21世紀の企業のあり方に言及し、そこからNECが21世紀に社会に受け入れられる企業でありつづけることができるのかどうかを検証してみたいと思います。


20世紀の社会と企業の関係


 産業革命以来、めざましい工業の発達とそれに伴う流通経済の発達の中で、企業が生まれ発達してきました。20世紀は発達した企業の中から巨大企業が誕生し支配を強化した世紀でした。
 人間は工業の発達によって”便利なもの”を追求するようになり、そのニーズにこたえて企業は”便利なもの”を供給してきました。この段階では企業は社会にとって役に立つ存在でした。さらに企業は利益をあげるために"より便利なもの”を押し付けてきました。そのため、たいした変更もないのに、次から次へと「新製品」を出し、あたかもそれを買わないと流行おくれと意識するような社会へと導いてきました。いわば企業あっての「社会」です。各地で企業、とりわけ「大企業」の横暴がまかり通ってきました。特に日本企業の横暴は他国に類のないほどです。公害垂れ流し、薬害、地域経済に大影響を与える工場閉鎖など、この数十年性懲りもなく行われてきました。
 企業社会は、際限のない利益追求のため、森林破壊、オゾン層破壊など地球環境を劇的に悪化させてきました。その中で多くの動植物が絶滅させられました。
 「新製品」を作ることにも、買わされることにも追い回されてきた人間は、今物質的豊かさと引き換えに精神的貧困を手にしていることに気付いています。そしてこのままの社会が続けば、次に絶滅するのは私達人間であることにも気付き始めています。

 紆余曲折を得ながらも、人間社会は必ず変革します。社会は絶えず動いているのです。
 今日の社会は明日の社会ではないのです。
 明日の社会を予測できない企業は必ず滅びます。
 社会(人間)を思うがままにできると信じている企業は必ず滅びます。

 企業が公害垂れ流し自由だと思っていたとき、公害反対運動が各地でおき、公害規制がしかれました。対応に遅れた企業は規制の対応に多くの投資を余儀なくされました。
 政治と癒着し、官僚に取り入った違法な商売でも、それを見逃す社会であったからこそ自由にできたものの、社会が違法なものは「違法」と明確に判断できるように変化したことに鈍感な企業は摘発されて、はじめて慌てふためくという醜態をさらけ出し、社会の信用を失ってしまいました。



21世紀の社会と企業のあり方

 さて、21世紀の社会はどんな社会になるでしょうか。
 大局的にみて、人間社会が滅亡の道を選ばず、真に継続することを望むなら、軍事的、経済的圧力で世界を支配しようとするアメリカの横暴を押さえてまず、核兵器の恐怖を取り除き、次に地球環境を保全することでしょう。さらには経済の南北格差解消、地域紛争を解消し、他の動物社会もふくめたすべての社会が共存、共栄できる社会の実現へ踏み出すことでしょう。
 もちろん、簡単に実現できるとは思いません。すべての人々が英知を結集し、地道な努力の結果はじめて得られる社会です。

 平和で物質的にも、精神的にも豊かな社会を築く上で、企業の役割は大きいものがあります。20世紀の大企業のさまざまな弊害をもって、大企業=性悪という立場はとっていません。人間社会にとって役に立つ企業は必要とされるのです。

 21世紀に必要とされる企業には3つの「やさしさ」が必要です。
「人間へのやさしさ」、「社会へのやさしさ」、「地球環境へのやさしさ」です。


人間へのやさしさ
 今、物質的な豊かさから、精神的な豊かさを求めている人々が増えつづけていると言われています。先日テレビ放送された番組の中で、この不況の中やっと就職した会社を数ヶ月で辞めた新入社員を特集していましたが、彼らの中で共通していたものは、24時間会社に縛られていること、仕事にやりがいを感じられないことに我慢の限界を超えたからでした。精神的豊かさを強くもとめる若者が21世紀の主役になります。
 人材を負債とみなして安易に人減らしリストラを進める企業は一番に敬遠され、21世紀の早い時期に消えてなくなるでしょう。
 人材を資産としてとらえ、個々人の能力を十分発揮させ、将来の安定した道筋を見させることができる企業がやさしい企業として社会から認知されるでしょう。

社会へのやさしさ
 企業の社会的役割が大きいことはすでに書きました。大企業になれば成るほどその行動は社会に大きな影響を与えます。
 ところが、日本の大企業には、社会的役割を正しく認識していない企業がたいへん多いのに驚かされてしまいます。
 個別に指摘するのは差し控えますが、大きな工場を建て、長いあいだ自治体からも運営に関してなにかと優遇してもらいながら、会社の方針が変わったとして、さっさと工場を閉鎖してしまう多くの企業があります。工場が大きいほど、地域経済に与える影響は大きいものがあります。その工場の閉鎖で、関連する中小の会社が倒産します。多くの商店の売上に影響を与えます。人口が減少し、地域社会自身が立ち行かなくなります。
 江戸時代の大商店の家訓に「収入の4分の3を社会へ還元」するよう示してあるのがあります。20世紀の企業は18世紀の商店経営者より社会的役割の認識が低いといわざるを得ません。21世紀には、こういう企業は世界のすべての地域社会から排除されるでしょう。
 社会環境にやさしく、社会の人々にやさしく、その社会の経済、文化を尊重しやさしくバックアップする企業こそが”WELCOM”と歓迎されるでしょう。

地球環境へのやさしさ
 森林伐採で砂漠化が進む地球。大気汚染で異常気象が頻繁に発生し動植物の生存の条件が厳しくなる一方の地球。まさに地球は瀕死の状態にあります。この状態になるまでに何億年、何万年かかったわけではありません。この20世紀になって急激に進んでいるのです。この短い期間に多くの動植物が絶滅しました。
 この原因は一握りの国の一握りの大企業が利益追及第一の活動を強行に進めたからではないでしょうか。工場からの有害排煙し放題。車の有害排気ガスの規制緩和。木材調達のための森林伐採。などなど数え上げたらきりがありません。
 とりわけ日本企業はこの点で、今世界から多くの非難を浴びています。
 21世紀には地球環境保全に鈍感な企業は受け入れられないでしょう。製品を作るにしても、保全のための最低基準をクリアしなければならないし、それ以上を達成している企業が伸びるでしょう。

NECは21世紀に適合?

 以上から見ても、NECが現在すすめている15000人削減を中心とした、リストラ策は会社にとってどんな理由があろうとも、おおよそ21世紀に必要とされる企業のあり方とは無縁です。これを強行にすすめれば、21世紀の早い時期にNECという企業は消滅するでしょう。

 いまが正念場です。人減らししか考えられない経営者任せではなく、NECで働くすべての人が21世紀へ向けた自らの課題として、真剣に考え、行動すれば、必ず、道は開けます。


各方面の企業のあり方論議の紹介

 

今、企業のありかたはこれでいいのか?という視点にたった論議が沸き起こっています。

いくつかの論点をご紹介します。



個人の資産価値高めよ  
  米アンダーセン・コンサルティング ロバート・デルクス氏(日経産業新聞 7/14付け)

「脅しの経営」は社員の心を蝕む  
  久保田浩也(メンタルヘルス総合研究所代表)(日経ビジネス 6/21号)

「人減らしは企業に損失」残業ゼロで260万人の雇用がふえる   -生産性本部
が注目レポート 樋口美雄さん(慶応大学教授)に聞く(「赤旗 日曜版」 7/11付け)

尊厳なき企業の崩壊 「人間本位」の企業理念の研究
  長銀総合研究所(1993年 PHP研究所)


2001年の企業社会 良い会社とは何か(pdfファイル27KB)

  「日本的成長システムの限界」

  評論家・堺屋 太一氏に聞く(1992年 日経産業新聞)

  



個人の資産価値高めよ  
  米アンダーセン・コンサルティング ロバート・デルクス氏(日経産業新聞 7/14付け)

日本の金融機関は人員削減やアウトソーシングなどでリストラを加速してい
る。・・だが米国の金融業界ではリストラと情報化投資だけでは競争優位を保て
ないとの認識が広がり、人材の能力開発に関心が広がっている。米アンダーセ
ン・コンサルティングの金融業チェンジマネジメント統括パートナーであるロバ
ート・デルクス氏に米国の最新人材活用事情を聞いた。

「せっせと人減らしを進めて情報技術を駆使した効率的な組織というものは、ど
この銀行でも似たものになり、差がつかなくなった。」「『ワークフォース(労
働力)』に関する戦略だ。リストラ、リエンジを推進してどこも似たような効率
的な組織になると、従業員のやる気や意識改革によってしか競争力に差を付けら
れない。今後は急速に人の能力開発や社内教育に投資の矛先を変えるだろう。日
本はこの動きに数年遅れているが、方向性は同じだ。」「個人のやる気を引き出
して労働生産性を上げるためには、意思統一ができた事業戦略が無ければならな
い。逆に立派な事業戦略があっても、個人の仕事をきちんと評価する手法が整っ
ていなければ人は動かない。志気向上のための意識変革には2つある。1つは、
『脅し』だが、この効果は一瞬だ。もう一つは、会社や事業環境の変化によって
将来自分が置かれる状況をシミュレーションして、各人がどう組織に貢献すべき
かを知らせる社内教育の手法だ。」
 邦銀は人材管理面で何が欠けているか?の問いに「人材を資産として管理する
意識だ。多くの邦銀は人材は資産どころか負債と見なされている。」「もし私が
邦銀の頭取だったら、人減らしを進めるよりも、従業員個々人の資産価値を高め
るために能力開発に注力する。・・人減らしはリエンジニアリングの理論から出
た話だから、リエンジの成果が期待外れとわかった以上、人事管理の視点も抜本
的に変える必要がある。」




「脅しの経営」は社員の心を蝕む  
  久保田浩也(メンタルヘルス総合研究所代表)(日経ビジネス 6/21号)

「ビジネスマンの心の健康と景気それ自体の間には因果関係はないように思いま
す。心の健康に深く関わっているのは、やはり経営のあり方でしょう。」「私に
は日本企業の経営のあり方が、『仕事をやらされている』と感じる社員を増やす
ものに変貌しつつある気がしてなりません。具体的には安易なリストラや成果主
義人事の導入です。それらは、いってみれば劇薬です。処方を誤れば、社員はそ
れらを『懸命に働かなければ解雇するぞ』『成果を出さなければ給料を下げる
ぞ』という脅しだと受け止めてしまいます。脅されてなお前向きに仕事に取り組
む奇特な社員がどこにいるでしょう?そして、もし、社員がそんなふうに感じて
しまったら、その会社はもうだめです。社員の心は蝕まれ、活力も低下してしま
います。それでもリストラをしたいのなら、まず経営者自身が責任をとって辞め
ることでしょう。」


「人減らしは企業に損失」残業ゼロで260万人の雇用がふえる   -生産性本部が注目レポート 樋口美雄さん(慶応大学教授)に聞く(「赤旗 日曜版」 7/11付け)

 政府や経団連などが「雇用は過剰」と大企業の人減らしをあおりたてるなか
で、労組、経営者、学者からなる(財)社会経済生産性本部(会長:亀井住友電
工相談役)が注目すべきリポートを発表しました。“サービス残業ゼロで90万
人、すべての残業をなくせば260万人の雇用を増やせる”。このリポートにとり
まとめにあたった同本部・雇用政策特別委員会の専門委員長 樋口美雄さんは以
下のように語っています。

「消費税率の引き上げ以降は景気が急速に悪化して、さらに雇用情勢が厳しくな
りました。」「雇用などに対する不安が、現在の消費を抑えて将来に備えた貯蓄
へと向かわせています。」「雇用不安を解消しないといつまでたっても本当の意
味で景気は良くならないでしょう。」「労働基準法を持ち出すまでもなく、残業
をやれば手当が支払われるのは当たり前で、それが支払われないというのは明確
なルール違反です。一定のルールにのっとったフェアな競争があってこそ経済効
率も高めることができるわけですから、経済学の視点から見ても、これは改める
べきだと思いますよ。」「『過剰雇用』がこれだけ叫ばれるのなら、仕事が無く
て暇な人が多いんだろうと思うんですが、むしろ2、3年前に比べて忙しくなって
いる人たちが多いという調査結果も出ています。これは、『リストラ』といって
も、事業全体の見直しには一切手をつけないで、単に人件費を削減したいという
ことから人減らしをする企業が多いからです。」「産業競争力会議などでは、
『過剰雇用』と『過剰設備』の問題が同列に論じられていますが、これはおかし
いことです。『過剰設備』の場合には対象が機械ですから、一度つくってしまっ
たら使い続けるか捨てるかの二者択一です。それと違って雇用は人の問題ですか
ら、働き方や仕事の内容を変えるなど柔軟に対応できる。雇用を『廃棄』すれ
ば、残った人たちは『自分たちもいつ解雇されるかわからない』と考えます。そ
うすると企業のために何かやろうという意欲はもう起こってきませんから、企業
にとっても生産性を引き下げるなどマイナス面が強く働く結果となります。基本
的に『人であること』ということが重要です。人間の尊厳を大切にするがゆえに
働く人たちも一生懸命やろうということになって、企業にとっても活力が出てく
るのだと思います。短期的には人減らしで利潤が生まれるかもしれませんが、長
期的にはいい人材がいなければ企業は競争力が高められません。」
 

尊厳なき企業の崩壊 「人間本位」の企業理念の研究
  長銀総合研究所(1993年 PHP研究所)

 国民の血税を公的資金投入という名目で4.5兆円も投入していながら、実質数億円でアメリカ企業に売り渡そうとしている、長期信用銀行のシンクタンクである長銀総研から貴重なレポートが1993年に出されていました。長銀のトップがこれを読んでいたら今日の事態に至らずにすんでいたものをと、思わざるを得ない先見性をもったレポートです。
 まず、まえがきで「この本は、社会と企業、企業と個人の関係について、21世紀に通用する新しいあり方を探ることを目的としている」として、「企業はこれまで成功してきたやり方で立ち向かおうとしても、通用しまい。激しいショックや、厳しい外圧が存在しなくても、日本企業は、自ら変身できるだろうか?そもそも企業行動が、社会的良識から外れるのを防止する仕組みを、企業内にビルト・インすることは可能だろうか?」そしてこの研究の結論としての主張は『@日本企業は、自己変身できる。Aそれができない企業はいずれ社会に受け入れられなくなる。B企業がめざすべき方向は、社会に役立つ企業活動、バランスのとれた成果配分、個人の価値観の尊重など、6つにまとめることができる。C3〜5年がかりの全社的な企業「企業理念」の確立・見直し活動が実践てきな方法になる』
 1章から3章にわたって、日本、世界の環境変化のなかでの企業のありかた、歴史的にみた企業のありかたからを訴求し、4章では「求められる企業のパラダイム・シフト」として「効率と幸せとどちらをえらべばよいのか?」「企業は何をめざすべきか?」「地球環境への責任」「個人の価値観の尊重」と企業のあるべき姿を追求している。